「でもさ、誰にもない自分だけに固有の価値なんてものを持ってるのは、それこそ尾田栄一郎ぐらいだよ。あのくらいの才能がないと、絶対にグーンと行かない。この20~30年の義務教育で“みんなには個性がある”という教え方をしてきたらしいんで。僕を含め、固有の能力のあるヤツなんてほとんどいないんです。でも“ある”と思ってるヤツが若い年代にはいっぱいいる。一番耳の痛い言い方をしましょうか。テレビ関係者向けに言うと、たかが番組のコーナーの取材者でしかないヤツをみんな“ディレクター”って言ってる。あれはレポーターです。デジタルの方の“ディレクター”はオペレーターだよね」
テレビとデジタルだけの話ではない。みんなそう。何もないのにあるように思い込まされているだけなのだと、富野さんは言う。
「だから、大事なことなんだけど、まず、自分が凡庸な能力しか持ってないということを覚悟しろと。社会と世間とに紛れ込んで自分自身のポジションを獲得していく方法しかない。ほとんどの人は成功しない“普通の人”なんです。ここにしかいられない自分がどうするか。我を出すということが一番いいわけでは必ずしもない。協調性だけを守っていけばいいのか、それはそれでのたれ死にするだけ。そういう状況を把握したうえで、階段を上っていく。言っておきますけど、25歳から上の世界って、気持ちのいいことなんてほとんどないですよ。じゃあどうするかというと、そこでいかにガマンして右と左のヤツをつぶすか。そういう気概がないとネクストはない」
| — | 富野由悠季 | web R25 (via akiyoshi) |
| — | Twitter / @xmarsax (via extramegane) |
子どもだけじゃなくて、親の顔を撮ったほうがいい、
その子どもが大きくなったときに、自分が幼い頃なんて
ぶっちゃけどうでもいいけれど、自分の誕生を両親が
どれだけ喜んでくれていたかを実感できるのは素敵だと
いうような話をされていたんだけど、ほんとにそうですね。
同じことは結婚式とかの祝いごと全般にいえるんですけど、
大事なのは当人よりも周囲の人たちだったりしますね。
たぶんプロのカメラマンはそこをよくわかってるんでしょうね。
周囲は背景じゃなくて、むしろメイン。
もちろん当日のメインは新郎新婦なんだけど、
彼らが後日いちばんうれしい(見たい)写真は
自分たちの笑顔じゃなく参列者が心から喜んでくれる様子で、
それを記録しなきゃもったいない。
そういうことにいまさら気づいてちょっと後悔しています。
甥っ子や姪っ子が生まれたときに、
そりゃもうかわいいものだからアップで撮りまくってて
ぼくのパソコンのハードディスクにはそんな写真や動画が
いっぱい入ってるんですけど、妹夫婦の顔とか、
うちの両親(つまりおじいちゃん、おばあちゃん)の顔は
ほとんど残ってない。だって撮ってないもの。
これからは周囲をいっぱい撮ることをオススメします。
| — |
周囲を写すこと - いつかの昨日 (via ishizue) |
一体なぜ、ピダハンの言語はかくも特徴的なものとなったのか?著者の更なるフィールドワークにより、このピダハンの言語を規定している決定的な要因が「直接体験」というものにあるということが、導き出されてきた。ピダハンの言語と文化は、直接的でないことを話してはならないという文化の制約を受けているのだ。
この原則に依れば、ピダハンが実際に見ていない出来事に関する定型の言葉や行為を退け、何らかの価値を一定の記号に置き換えるのを嫌うということの説明がつく。数や色がないことも、その一例である。これらは直接体験とは別次元の、普遍化のための技能であるからだ。
その代わりに、実際に経験した人物、あるいは直接聞いた人物が、その価値や情報をできるだけ生の形で言葉を通して伝えようとするのが、ピダハン特有のコミュニケーションということなのである。
このような思考様式を持っているからこそ、ピダハン社会は外の世界の知識や習慣をやすやすと取り入れないようになっているとも言える。実際に、宣教師として訪れたはずの著者は、キリスト教の布教を断念し、なんと最終的には無神論者へと鞍替えしてしまうのだ。
そして本書が問いかけているのは、我々がこのピダハンの特異な文化を、どのように受け止めるべきなのかということでもある。僕は、この「直接経験の法則」に基づく言語を、「言葉の断捨離」と位置付けたら、面白い捉え方が出来るのではないかと感じた。
ピダハンはその法則に基づき、自分たちの思考の範囲を「今、ここ、自分」に絞っている。このことによる機会損失はもちろん否定できないのだが、同時に不安や恐れ、絶望といった西洋社会を席巻している厄災をも、ほとんど取り除いてしまっているのだ。
事実、ピダハンには、抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作など、産業界の進んだ社会では日常的な精神疾患の形跡が見られないのだという。また、著者自身、ピダハンが心配だという言葉を発することですら、聞いたことがないそうだ。
| — | 言葉の断捨離 -『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』 - HONZ (via hirai) |
修羅場とは違うけど仕事でニートの実態調査したんだ
勿論救済なんかの目的じゃなく、ニートを対象とした商売を成功させる為の調査なんだけどね
詳しくは書けないけど課金制コンテンツの関係
心療内科の先生と学校の先生に協力を願って色々と調べてみた
そしたら驚くべき事実でさ
俺の持つニート像ってのはいくつか書くと
他人とコミュニケーション取るのが苦手で内向的
毎日同じ事の繰り返しが苦手で仕事に向かない
我慢や辛抱が苦手
自分の意見が通らないとすねてしまう
金や出世に対する執着が無い
楽な事しかしたくない
無意味と思える行動を極端に嫌う
運動が苦手
勉強も苦手
と、まあこんな感じのイメージ
207 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 17:20:04.31 ID:FZmnoeUm
で、実態調査を始めたら全く違う側面が見えてきてね
まず大きく二極できる
仕事というより働くのが嫌でしょうがない人
これはまんまだけど結構な数存在する
まあ裏の世界の住人になってるケースが多いね、このタイプは
問題はそれ以外の普通の人達
まず責任感が非常に強過ぎて疲れてしまう人
知りません、分かりませんという言葉を極端に嫌い、向上心が高い反面プレッシャーに弱く
自分で自分の首を絞めて、プレッシャーから夜寝れないから朝起きれない
そういう負のループに陥ってしまい疲れ果てて辞めてしまう人
他人の言葉を聞き入れてしまい過ぎて、バランス感覚を持てなくなってしまう人
何かを切り捨てて前に進む事に非常な罪悪感を持ってしまう人
流行を切り捨てて自分らしくあろうとする人
同時に2つの行動をするのが苦手な人
バカ正直過ぎて商売に向かない人
などなど
208 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 17:38:32.96 ID:FZmnoeUm
つまり根は真面目で優し過ぎるから過酷な現実で生きていくのが難しい人が多いんだ
まあこういう人が多いから家庭内でニート対親や親戚といった修羅場が繰り返される訳だけど
そこを理解してやらずに仕事しろ!働け!怠けるな!
と言われるから家庭内でも世間でも居場所が無くなる訳だな
それも何の解決にも導かない負の連鎖みたいなもんだ
例えばオンラインゲームなんかではニートとおぼしき人が異常な高スコアを叩き出す事が多いんだけど
それだけ同じ行動を繰り返すのを嫌がってない訳だし、勉強みたいに繰り返しやる事が大事な行為自体を
そんなに苦にしてないんだな
で、自分に折り合いを付けて勉強なり仕事を始めた人がたくさん社会復帰している
もともと努力する事を放棄してた訳じゃないんで自分が居場所を作る努力さえすれば問題なかった訳だな
でもそういう折り合いを付けられない人もたくさんいる訳で、折り合いを付けても働く場所が無いといった新たな問題もある
ニートを救済しようとする企業もあるにはあるんだが、それだったら真面目に働いてきて仕事を失った人に職をまず与えてやれといった批判もある
難しいもんだな
真面目すぎる、空気読め過ぎる、優し過ぎる
こういう人は過ぎたるは及ばざるが如しみたいなもんで毒にしかなってないんだな
普通の人間に出来る、真面目にやるけど息を抜いたり適当に誤魔化したり
といった心のバランスが取れないんだそうだ
これ読んだ人でニート絡みの修羅場を経験してる人は、そこを理解して解決方法を模索すれば
何か答えが得られるかも知れんね
| — | 2chコピペ保存道場 - 仕事でニートの実態調査をした (via toronei) |
| — | 小野和俊のブログ:「最悪の事故」から学ぶ教訓 (via nagas, mcsgsym) (via hisaruki) (via otsune) |
――今後、企業はどう変わるのか。
企業が社員に給料を払うのは、本来的に矛盾がある。
給料を払って、社員が合理的であるかぎり、社員は働き惜しみをする。
働かないほうが得。
どんなに働いても給料は上がらない。
そうすると、会社の中では最低限しか働かない人ばかりになる。
仕事の内容はどんどん変わるのに、今の人員の固定費で精一杯で、新しく新人を採れない。そうなると、人がなんで働くのか、というと、この人のため、と思わないと働かない。
「キャラクター化」しない企業は、おカネしか目的のない人しか残らない。
そうなると、ますます儲からなくなる。
一方、「キャラクター化」した企業、つまり「この人がいるから働く」という人がいる小さい企業ばかりになる。
大企業がそういう顔の見える小さな企業に分裂していく。
次の社会は、国民の7割が失業者とも言えるし、評価社会で食べていける社会と言える。
明治時代の小説読んだら、旦那さんが1人働いて、15~20人が周りで食えていた。
サザエさんは、波平さんとマスオさん2人が働いて、7~8人が食えていた。
豊かな社会。クレヨンしんちゃんは、2人が働いて1人が食べている。
歴史が後ろに行くにつれ、働く人数によって養える人数が激減している。
経済が成長しているように見えて、貧しくなっている。今後、豊かな社会というのは、5人に1人が労働してくれて、残りがありがたがる社会。
失業しても、食べていける。毎日の楽しみもほとんど減らない。無料の楽しみが溢れているから。それは有料で楽しむ人が人口の数%いるから、無料で楽しめる。
――個人は何をすればいいのか。
単純に好かれればいい。
5人に1人が働く社会では、4人はぶらさがる。
その4人は嫌われなければいい。喜んで奢ってもらえる人になればいい。愛されニートになる、ということ。
でも評価はどんどん変わる。だから悪いことはしてはいけない。楽園ではない。
でも、かなりの人がおカネや仕事から自由になるという意味では、いい社会。
